スピードクライミングの分析スタッフに聞く パリ2024プレビュー
Photo : © Jan Virt / IFSC
パリ2024オリンピックでのスポーツクライミングの実施種目はボルダー&リードとスピードの2つ。日本人選手はボルダー&リードに男女2人ずつが出場します。
本記事では、8月5~8日にかけて行われるスピード種目について、2017年から分析を担当している神舘盛充さんに見どころなどを聞きました。
プロフィール
神舘 盛充 - KODATE Morimitsu
JMSCAスピード分析スタッフ
1988年10月11日生まれ、東京都出身。
早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を卒業後、一般企業での勤務を経て、現ハイパフォーマンススポーツセンターで映像分析に従事。現在はJMSCAでスピード種目を中心に映像分析の分野から日本代表をサポートしている。
――まずは神舘さんとスピードクライミングの関わりから教えてください。
「JMSCAの東京オリンピックに向けたスピード強化の一環として、2017年から映像分析の専門家として関わるようになりました。他の競技に携わることもありましたが、2019年からはほぼスポーツクライミングを、中でもスピードを中心に見ています。大会や練習に帯同し、撮影した映像の分析結果を選手やコーチにフィードバックしています。海外勢の映像から得た気づきも共有しています」
――そもそもスピードとはどのような種目ですか?
「15mの壁をいかに速く登るか、を競う種目です。男子は5秒ほどで勝負がつくので、オリンピック最短種目と言えると思います」
――スピードの面白さをどう感じていますか?
「一瞬で勝敗が決まることに加えて、予選と決勝で勝敗の決め方がガラッと変わるのが個人的には面白いですね。予選はタイムを競うのに、決勝は対人戦となり、駆け引きも必要になってきます。ただ速ければいいというわけでもないんです」
――メンタル面も大事ということですね。
「さらにスタミナも重要です。W杯や世界選手権の決勝では、ビッグファイナルまで進むと合計4本登ることになるんです(パリオリンピックの決勝は最大3本)。決勝は大体1時間で終わるので、その中で最大出力の試技を4回行う種目って他にないと思うんですよ。陸上競技の100m走も1時間に4本は走らないですよね。短時間で4本もこなすのは相当追い込まれるはずで、そこも面白さになるのかなと思います」
――ただ速いだけでは勝てるとは限らない。どのスポーツにも言えると思いますが、やはり勝負はしてみないとわからないということですよね。
「僕はその『わからない』という部分が他の競技より大きいのかなと思っています。スピードは優勝予想の当てが外れることが十分にあり得ますから」
――陸を走るのではなく、ホールドを掴んで登るという動作がミスを引き起こし、波乱につながりやすいということでしょうか。
「不安定なところを登るので、ミスはしやすいと思います。足の踏み位置を見ずに進んでいくので、滑ることが多い。陸上競技は地面を走りますし、競泳も水の中ではありますけど安定した環境下で泳ぐじゃないですか」
――氷上のスピードスケートも接触などがない限り動作的には安定していますよね。
「スピードクライミングは動きが反復ではないこともミスの要因として大きいと思います。15mを登る中でも、いろいろな動きがある。陸上や競泳は一定の動きを繰り返すので、ミスはしにくいですよね。スポーツクライミングの中でもボルダーやリードに比べるとスピードはかなり反復的な競技だとは思うんですけど、他のスプリント競技より反復度は低いのかなと」
――パリオリンピックのルールについても教えてください。予選はタイムレース、決勝は対人戦という話がありましたが、今回のオリンピックは予選がシーディングヒートとエリミネーションヒートに分かれていて、普段の公式大会とは違ったフォーマットだそうですね。そもそも男女各14人という出場人数から異なります。
「まずはタイムを競うシードヒートを、そしてそのタイム順による7つの組み合わせで対人戦のエリミネーションヒートを行い、勝者7人と敗者のうち最速だった1人が決勝に進みます」
――決勝はワールドカップや世界選手権と同じトーナメント戦で行われますね。
「予選のエリミネーションヒートが対人戦になるので、波乱が起こりやすいと予想しています。相手のミスによって、シーディングヒートでタイムが遅かった選手が決勝に残るかもしれません」
――敗者復活があるのもオリンピックならではですね。該当した選手はメンタル的にイケイケになるのではないでしょうか。
「イケイケになると思います(笑)。敗者復活から金メダルを取ったら、ドラマがありますよね。特に男子はそれが起こりやすいと言えます」
――実力が拮抗していると?
「自己ベストのタイムが5秒10までの選手が14人中11人もいるんですよ」
――現在の世界記録はサミュエル・ワトソン(米国)の4秒79です。
「4秒80だとしたら、0秒3の間に11人がひしめいていることになりますよね。ということは、1回でもミスをしたら敗退する恐れがあります。シーディングヒートの2本中1本で良いタイムを出し、エリミネーションヒートの1本、そして決勝の3本と、計5本のタイムを高いレベルで安定して揃えることが金メダル獲得の条件になると思います」
――ここに着目すればもっと楽しく観戦できるというポイントはありますか?
「一連のムーブの中の細かい部分に着目してもらえるとより楽しめると思います。例えば女子だったら、エマ・ハント(米国)という選手はサブリ・サブリ(16番目のハンドホールドを取らずにショートカットする)というムーブを女子では珍しく取り入れているんですよ。ちょっとマニアックですかね(笑)。しかもハントは、昨年まで昔ながらの左回りルートでスタートしていたんですが、今年は(直線的に登る)トモアスキップにしているんです。彼女は身体が大きいからトモアスキップが上手ではなくて、だから昔ながらの左回りルートにしていたと思うんですけど、トモアスキップが非常にうまくなっていて、タイムも速くなっているんですよ」
――楢﨑智亜選手が編み出した「トモアスキップ」はスタートから4番目のハンドホールドを使わずにスキップして、3番目のハンドホールドを掴んだら足も乗せるムーブです。
「3番ホールドに左足を乗せるんですけど、その後の右足でミスが起きやすいです。あとはスタートした直後の粒(フットホールド)を踏めないとか。トモアスキップを含めて、スタート直後はミスをしやすいので、1つの注目ポイントですね。皆さんも東京オリンピックで智亜くんがスタート直後に足を滑らせたのは記憶に新しいのではないでしょうか」
――今では世界中の選手がトモアスキップを取り入れていますよね。タイムはどれほど縮まるものでしょうか?
「当時の分析だと、従来のムーブより0秒2くらい速い結果が出ていました」
――最後にパリオリンピックでの注目選手を教えてください。
「女子は世界記録保持者のアレクサンドラ・ミロスラフ(ポーランド)とエマ・ハント(米国)です。以前ならミロスラフに絶対的な実力がありましたが、プレッシャーからか最近はミスが目立つようになりました。21歳と若いハントは先ほど話したようにトモアスキップをものにしてタイムを縮めてきています。ハントが女子世界新記録をマークして優勝することもあるかもしれません。他にもOQS(予選シリーズ)で1位だったジョウ・ヤーフェイ(中国)や、2つの出場枠を取った地元フランス勢も面白い存在です」
――男子はどうでしょうか?
「実力的に少し劣る南アフリカの選手を除いた13人がメダル候補です。13人のうち自己ベストが最も遅い選手でも5秒26なんですよ。誰が決勝に残ってもおかしくないんですよね。その中でもワトソン、レオナルド・べドリック(インドネシア)、ウー・ペン(中国)の強豪3人が正確な登りを5回できるかに注目です。決勝に残れればですが、39歳のバッサ・マウェム(フランス)が勝負強さを発揮して上位に食い込む可能性があります。自己ベストは5秒2ほどなんですが、5秒2台5本出せといったら、おそらく出せる安定性があるので、相手はミスができません。そういう意味でもバッサはダークホースですね」
――今年の話題性でいえば、4月に世界新記録をマークしたワトソンに勢いがあります。
「ワトソンは今年4月に世界新記録をマークしているので、優勝候補であることに間違いありません。スタート時に身体を思いきり振って反動をつけるのが特徴です。彼はまだ18歳で、20代もいれば、30代の前世界記録保持者レザー(・アリプア・シェナザンディファルド/イラン)、40歳直前のバッサもいる。各世代の対決も楽しみですね」
――男子は昨年に初めて4秒台が出たばかりなのに、今はいかに4秒台を出して勝つか、というレベルに達していますよね。
「オリンピック出場選手の中で自己ベストが4秒台は6人ほどいます。オリンピックで新たに4秒台を出す選手がいれば、ファイナリストの8人全員が4秒台の持ちタイムで争う展開もありそうです」
――残念ながらパリオリンピックのスピード種目に日本人選手は出場しませんが、今年7月には大政涼選手が日本人初の4秒台となる4秒97をマークしており、存在感を増しています。
「涼くんは、私のデータだと世界歴代10位タイなんです。各国のローカル大会も集計しているので、W杯や世界選手権に限るともう少し順位は上がります。日本人が出場できないのはとても残念ですが、パリ以降の活躍に期待したいですね」